好きだ、と。
まるで吐息が震えるような、微かな声。
友達としての好き。
恋愛としての好き。
肉親として、尊敬として、憧れとして、好き、はたくさんある。
自分が明人に抱く『好き』は恋愛としてだった。
でも彼は、友達としての『好き』しか持っていないに違いない。
小学生からの親友で、誰より近しい存在だったとしても、……いや、だからこそ、余計に友情以上の気持ちを持ってくれるなんて、なおさらありえないだろうと覚は思う。
唇が接着剤で塞がれてしまったようにぴくりとも動けない明人に、覚は髪をかきあげるふりをして視線を逸らした。
きっと必死になって覚の言葉の意味を平穏な方向に解釈したがっている。
明人の頬が、緊張のためか微かに震えているのを見て、なんだか笑いたくなる。絶望を感じて。
この想いを告げるつもりはなかった。ずっと心に秘めて、一生友人として明人の隣にいるつもりだったが、言ってしまったのだからもう後戻りはできない。
あとは相手に委ねるだけだ。
――――聞かなくても、答えは分かっているけれど。
投げやりではなく、事実を確認するように、覚はそう思った。
自分だって分かっている。受け入れてもらえるのではないか、なんて願うほどおめでたくはない。男を好きになって、そうそう都合のいい展開なんて、思い描くことすらできない。
口を噤んだまま、覚は視線を上げ、明人を見つめた。
こんなふうに気持ちを込めて見つめるなんて、もう一生できないから。
だから、この一瞬だけは、許してほしかった。
「……俺」
明人の掠れた声。
一生懸命考えてくれている。視線は逸らしたままだけど、きっとどう言えば覚を傷つけずにすむか、を。
無駄なことなのに。どうしたって傷つかずにはいられない返答でしかないのに。
「俺、そういうふうに考えたこと、ない。おまえのこと……」
「うん」
「だから、その……」
悪い、と。明人は小さな声でそう言った。
思っていたとおりの返事。
逃げられる、嫌悪の瞳で見られる、というシナリオだって頭の中にあった。それから比べれば、この返事は雲泥の差。少なくとも相手は自分のことを懸命に考えてくれたのだ。
悪くなんてない。明人が謝らなければならないことなんて、ひとつも。
でも―――だけど、苦しい。分かっていたのに、それでも苦しくて仕方がない。
「……うん、分かった」
けれど覚は頷き、そう言った。言いながら微笑む。だってそれしかできないから。泣くなんて、絶対に、自分に許さない。
視線を外していた明人が、ようやく覚を見る。
一瞬交わった視線に、しかし明人はもう一度微かに目を伏せた。
ズキズキする。
痛みが、覚の唇を押し開けた。
「明日にはもとに戻る。今だけだから。……これまでと同じように、友達づきあい、してくれる?」
「そりゃ」
友達、やめる気はない、とそう告げる明人に、覚は笑みを浮かべた。
ホッとして、なのにやっぱり胸が痛かった。
痛くて……唇が、震える。
微かに目を見開く明人に歩み寄った。
心なしか身体を引く相手に、
「キス」
「……ぇ?」
「欲しい。一回だけ、させてほしい」
明人は自分とほとんど同じ高さにある顔を、呆然としたように見つめる。
「キ……、て、…え……」
混乱したように言葉を詰まらせる明人に、覚はもう一歩近付いた。
明人の身体が強張るのを感じる。それでも覚は歩みを止められなかった。
カツン、と後ろにあった机に、明人がぶつかった。
「ダメか?」
明人は明らかに逃げ腰だ。けれどすんでのところで逃げずにいてくれているのは、自分に対しての友情ゆえだろう。
明人はしばらくの間黙りこくり、懸命に考えてくれている。
微かに開いていた唇がきゅっと閉じられる。俯いて、その唇をかみしめて。次に視線を上げた時、明人はこくりと頷いた。
「……いい」
まさか本当に頷いてくれるとは。
優しい、優しい明人。
これ以上自分を傷つけたくなくて、きっと本意でないはずなのに頷いてくれた。
明人がやっぱりダメだと意見を翻す前に、 覚は素早く顔を寄せた。
どうしても彼に触れたかった。
覚の腕が上がり、同じ高さにある明人の顔へと手を伸ばす。
温かな頬。初めての感触なのだろう、隠しようもなく明人の身体が跳ねた。
引き寄せながら自分からも近付いて、距離を縮めてゆく。
息すらも触れる距離が我慢できなかったのか、明人は堪えきれないように目を閉じてしまう。
ふわ、と。
やわらかく、頼りない、ほんの僅かな感触。
まるでママゴトのような、優しいキス。
時間にすれば、ほんの一瞬。
離れて、けれどもう一度触れずにはいられなかった。
今度は先刻とは違って、唇を少し強く押し付ける。そして唇の上を、さらりと舐めて。それが舌だと分かっているだろうに、明人は動かないでいてくれた。
唇を食むと、明人は唇を開いてきた。そんな彼の反応に、覚は行為をやめられなくなってしまう。すかさず舌を進入させるのに、それをも黙認して、明人はただひたすら身体を強張らせ続けた。
舌の先同士が触れると、明人の身体がびくん、と震えた。
―――息が、できない。
きっと明人もそうなのだろう。がちがちに身体を強張らせ、なのに拒絶は最後までされなかった。
ここまでだ。
もっと触れていたい気持ちをねじ伏せて、覚は唇を離した。往生際悪く、最後にもう一度だけ、そっと触れ、そうして名残惜しく、距離をとった。
「……ごめん、一回じゃ済まなかったな」
小さくそう言うと、明人のきつく閉じられていた目が開いた。
「ありがとう、明……」
泣くわけにはいかない。でもきっと、泣いているようにしか見えないだろう顔を前に、まるで自分自身が傷を負ったように、明人は眉根を寄せた。
髪をかきあげ、伏せていた視線を上げて、覚はふわりと笑った。
諦めと、ここまで付き合ってくれた明人への感謝を込めて。想いの丈を込めて、微笑んだ。
――――その笑顔を見て、明人はまるで言葉を奪われたかのように黙りこくった。
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