九月二十三日、秋分の日。朝から好天に恵まれたその日は、オレにとって長く忘れられない
日になるに違いない。
なぜかというと。
デートなのですよ。
ただのデートではない。恋人いない歴十九年のオレに、初めてできた恋人と、初めての
デート。
てことで、充分特別だろ? ドキドキフワフワするのも当たり前だよな?
そのできたてホヤホヤの恋人っていうのが、高校時代からの親友で、北見慎という男だ
というのは、もしかしたらちょっとばかり問題なのかもしれないけど、男同士だからって
だけで相思相愛の相手と付き合うことを躊躇うなんて、そんなの絶対もったいない。
これから頭を悩ませることがたくさんあるかもしれないけど、それに少しは怖いけど、
でもオレはひとりじゃないんだから。慎がいてくれるなら、怖くても平気。
この北見慎。男のオレから見ても、とにかくイイ男なのだ。
高校時代三年間同じバスケ部だった慎とは、出会った頃からウマが合うなと感じていた。
百九十センチ近くもある長身と、端整でストイックな顔立ち、そのうえ当時校内テストでは
常にベストテンに入るくらい頭がよかった。とくればモテること必至。なのに全然ひけらかさ
ないから、ダチ連中にも信用&尊敬されている男だ。
そんな慎と、セフレもどきになったのは、高校三年の夏。
なんであんなことになっちゃったのか、未だにちょっとギモンなのだが、とにかくエロの
スイッチが一緒に入ってしまったんだろうな。高校での部活最後の日、バスケ部の部室で、
お互い触りっこしてしまったワケだ。
でもその頃のオレは、単なる自慰の延長みたいに考えていて、その間慎がどんな気持ちで
いたかなんて、全然知らなかった。気付こうともしなかったんだよ。それは平に反省する。
スタート地点からして気持ちの温度の差があったオレたちだけど、三日前、晴れて恋人同士
になった。
きっかけは、慎の『好きな人がいる』発言だ。
『好きな人』=『オレ』に、そう面と向かって言うなんて、考えてみればちょっとズルイ。
だってそれが自分だなんて、普通思わないだろ? ……思わないよなあ? オレ最近自分が
鈍感だって気付いたから、ちょっと不安なんだけど。
まあ、だけどきっかけを慎からもらって、オレは一年近くのセフレもどきの関係から一歩
足を進め、慎のことが好きだったのだと気付くことができたのだ。
それはめでたいことだよな。
慎から言われなけりゃ、もしかしたらこれから先どれくらい自分の気持ちに気付かなかった
だろう。
ま、そのことでかなり泣かされたけどね。
それは過去のことだ。
これからは未来に向けて、慎と新しい関係を築いていけたらいいなと思う。
で、ここで冒頭に戻る。
オレにとって、付き合うのは慎が初めてだ。最初に触りっこなんかしちゃったから、カラダ
の方だけは進んでいたけど、それは心を伴っていたわけではない。ホントだったら、ちゃん
とお付き合いをしたいと双方告げ合い、デートとかデートとかデートとかした後で、キスを
して、で、エッチに到達する。―――というのが正しいと、オレは思うわけで。
だから、まずはデート。
慎は以前付き合っていた女の子がいたから、こういうのは慣れているんだろうけど、オレは
何もかもが初体験、初心者なのだ。だからカラダを知っちゃっているのに今更デートも何も
ないだろうと思われるかもしれないけど、ここは曲げられない。
オレはちゃんと慎と付き合いたいから。
……とはいえ、実はちょっぴり怖かった、という気持ちがなかったわけじゃない。だって
相思相愛だって分かった途端、慎はオレを押し倒して、そのまま最後までいっちゃいそうな
勢いだったから。すごく余裕のない目を向けてくる慎を、ちょっとだけ怖いと思った。
キスだって全然加減してくれなくて、ものすごくディープで頭がクラクラするくらいの
ものをかまされて、怖気付いたのも事実。
だからオレは、
『慎と、最初からいろんなことをしたい』
って言ったのだ。
それはつまり、キスとかセックスとかの前に、もう少し相思相愛になった余韻というか、
ふわふわな時間がほしいという意味で。
慎は不服そうだったけど、それでも頷いてくれた。仕方ないなと笑ってもくれた。
慎のそういうところ、すごく好き。
強引にできるはずなのに、そうしないところ。オレの気持ちを優先してくれるところ。
少しだけもらった猶予期間。その間に慎の気持ちに絶対追いつくから。
というわけで、今日、これからデートに行ってきます。
これまでふたりでどっかに出かけたことなんて、それこそ数え切れないほどある。でも
今日は友人同士として出かけるんじゃない。そう思うと、なんだか俄かに緊張してきた。
待ち合わせの時間は、午前十時。オレのアパートと慎が住むマンションは、一駅分離れ
ている。
いつもだったらもう三駅行ったところの繁華街の、たとえば映画館前とか喫茶店とかで
待ち合わせをするんだけど、今日は、オレのアパート近くの駅まで、慎が迎えに来てくれる
ことになっていた。
なんだか照れると言ったオレに、慎は
『だっておまえが言ったんだよ? ちゃんとしたデートがしたいって。だからこれまで出か
けていた時とは少し違うことをしよう』
と言ったのだ。
それが迎えに来てくれるってことなのだが、イマドキそんなに丁寧にエスコートして
くれる十代の男って、多分そんなにいないと思う。思うがそれが嬉しいと思うオレも、
充分恥ずかしい類のうちに入るよな。
なんか、オトメみたい。
今他人に頭の中を覗かれたらオレ絶対悶絶する、と思いながら、どうしても弾んで
しまう足取りで、駅まで向かった。
約束より十分以上早く着いてしまった、とケータイで時刻を確認しながら苦笑する
けど、待ち合わせのキオスク前に、既に慎の姿があるのを見つけて、思わず目が丸くなる。
は、早い……。
慌てて走り寄り、
「悪、待たせた?」
と、初々しいカップル丸出しのセリフを言うと、なんだか猛烈に恥ずかしくなる。
その羞恥は、慎が今まで見たこともないくらい綺麗な笑顔で、そんなことない、と
言ったところでさらに倍増した。
ああ、なんか心臓が速くなってきた。
これまで友人だったのに、恋人に関係が変わるってこと、よくあると思うけど、そん時
みんなこんなむず痒いような照れくささを感じるものなのかな。
慎は、だけどオレの戸惑いを知ってか知らずか―――気付いていてもからかうような
真似はしない男だ―――、照れたような笑みをみせた。
「なんだかちょっと妙な気分だ」
あ、慎もなんだ。オレだけじゃない、と思えば、少しだけど余裕も出てくる。
オレは慎を見上げ、
「んじゃ行くか」
と、慎の手首辺りにちょん、と触れた。
慎は頷きながら、すぐに離れたオレの指を、ほんの一瞬だけ握ったんだ。
デートの定番といえば、ドライブ映画ショッピング。そんなところだろうか。オレ
たちはどっちも車を持ってないし―――慎はバイクを持ってるけど―――、ショッピング
に一日を費やすほど買い物好きでもない。ということで、今日は映画を観に行くことにした。
オレの中でほかに考えられるデートといえば、ふたりともスポーツ好きだからスポーツ
観戦とか、海が好きだから水族館とか、まあ公園でブラブラ散歩というのも結構好きかも。
オレはゲーセン好きだけど、慎はあんまり興味ないから削除かな。
慎とだったらどこでもいいけど、できるだけ楽しく遊べるところに行きたいな。緊張
するのも数を重ねればなくなるだろうし。
そうすれば、自然に恋人同士になっていけるに違いない。
でも今は、まだちょっとぎこちない。
ほんの数日前まで、慎のアレを平気で掴んだり握ったり舐めたりしてたのになあ。
ちょっと目が合うだけでもうメチャメチャ照れちゃって、ワケ分かんないくらい緊張も
しちゃったりして、肩が触れただけで思わず身体が跳ねちゃったり。
うーん、オレってこんなに初々しかったのか。新発見だ。
慎と共にやってきた映画館は、同一の建物の中に、スクリーンがいくつもあるっていう
マルチプレックスシネマで、常時十作品もの映画が上映されている。
祝日だからか、適度に混んでいたけど、この映画館は全席指定で、目当ての映画の券は
無事購入できた。
この、券を購入する時に、ちょっとだけ慎と意見の相違があった。
オレは自分の分は自分で出す、と言ったんだけど、慎は首を縦に振らなかったのだ。
曰く
『初回のデート代くらいは俺に出させろ』
だそうで。
オレ、女の子じゃないのにと言うと、慎はオレの耳に唇を寄せて、ひっそりと囁いた。
「克己は俺の恋人だろ?」
と。
慎の、低くて男らしい色気のある声音に、オレはビクリと震えてしまった。
目の下辺りが熱いから、多分赤くもなっているだろう。
「そ……、じゃあ、今度はオレが奢るからな? 交代制だ!」
余裕のある慎に口を尖らせつつそう言うと、慎は瞠目し、そうしてふんわりと目を細
めて苦笑した。
「交代制か」
「そうだよ。来週はバイト代が入るし、慎の行きたいところに行こ」
今日の映画のセレクトは、オレに任せてくれた。だからそう言うと、慎はくすりと笑い、
頷いた。
映画は、すごく面白かった。
実話を元にした、プロバスケットボール選手の栄光と挫折、そしてカムバックする姿を、
時にスピーディに、時に心情を深く掘り下げたスロウな展開で、観る者を惹き込んでいった。
特にバスケの試合のシーンではかなり熱くなってしまい、思わず身体が乗り出して
しまった。
慎も元々バスケ好きだから、オレほどじゃないけど身体が動くのが分かって楽しかった。
やっぱり好きなものを共有できるのっていいよな。
それから、バスケ一辺倒だった主人公が、初めて恋に落ちる場面には共感した。
朴訥な青年が一躍バスケの寵児ともてはやされるんだけど、近づいてくるのは金や
身体目当ての女ばかり。そんな時に、彼を優しく、時に厳しく支えてくれた女性に恋心を
抱くのだが、鈍感な青年は、それが恋だと分からない。彼女に許婚がいて、結婚をすると
聞いた時、初めて己の想いに気付くんだ。
相手には聞こえないのに、豪雨の中、あなたが好きだ、とびしょ濡れになるのも構わず
に叫ぶシーンには、思わず涙腺が緩んで仕方がなかった。
「すげー面白かった…!」
満足! とにこにこしながら映画館を出ると、慎は微笑ましそうにオレを覗き込んでくる。
「泣いただろう、克己」
う、とオレは詰まった。
し、仕方ないじゃん。あの聞こえない告白のシーン、すげえ切なくて、どうやっても
堪えられなかったんだから。
「可愛いな」
「――――――」
……可愛い? 可愛いってナニ?
そりゃ慎に比べれば身長低いよ。だけどオレだって 百七十六センチあるんだよ?
結構背ぇ高い方だろ。顔だって、ちょっぴりジャニ系入ってると言われないではないけど、
可愛いとか、そんな類の顔じゃないと思うぞ…!
「ああいうところで泣ける克己が、可愛い」
二度も言われてしまったよ。あ、でも顔がってワケじゃないんだな。涙腺弱いオレが
可愛いってことか。―――て、それもまたかなり恥ずかしい……。
「もちろん、性格だけじゃなくて顔も可愛いと俺は思うけど」
さ、三度目……。
オレ、絶対今顔真っ赤だ…。慎はオレの心臓を壊す気なんだろうか。
可愛いを連発する慎を、恨みがましく見上げると、ふ、とおかしそうに笑った。
「言わせろよ。これまで言えなかったんだから」
それは、……そうかもしれねえけど。
「…………言い過ぎ…。オレもたねえよ」
ぽつりと呟くと、慎は苦笑した。
「飯、食べに行こう。何がいい?」
ぽん、と背中に触られ、心臓がひょっこり跳ね上がる。
好きって、付き合うって、心臓強化しとかないと病気になりそうだ、なんてオレは
おかしなことを考えながら、それでも慎から目を離すことはできなかった。
「何がいい?」
もう一度訊かれる。正直ドキドキしちゃってて食欲があるのか分かんねえけど、
それでも、ピザが食べたい、と口にした。
以前慎と食べに行ったことのあるイタリア料理店に行き、そこで最初の予定どおり
ピザを頼んだ。 オレはエビやホタテやサーモンが乗っかったやシーフードピザを、
慎は野菜と生ハムがトッピングされたピザを頼む。
慎はその時、オニオンは抜きでと店員に告げた。
「慎、玉葱嫌いじゃなかったよな?」
首を傾げながら問うと、慎は、
「おまえは苦手だろ、玉葱」
「あー、……うん」
慎と出かける時、大抵食べモンは半分こする。今日もそのつもりだったらしい慎は、
オレの嫌いな玉葱を最初から排除してくれたんだ。
「……慎て、絶対メチャメチャもてるよな」
顔だけの男じゃないんだ。
こういう心配りを、細かいと言うヤツもいるかもしれないけど、慎は相手が不快な
気分にさせないように接してくれる。そういうところを、オレはやっぱりすごくいい
と思う。
今日、慎と一緒にいてまだ数時間てとこなのに、オレ、なんだか加速度的に慎のことを
好きになっていってる気がする。
多分慎は、友達として出かけていた時とそんなに変わったことをしていないだろう。
変わったのは、それを受け取る自分の心だ。
慎はオレの呟きに、僅かに片方の眉を上げた。
「克己にもてなきゃ意味ないだろう」
他のヤツに言われたら、きっと背筋が痒くなるんだろうけど、慎から言われたら
もうホンット、嬉しく思っちゃうんだよなあ。
ああ、なんかオレ、今日一日でどうにでもなりそうだよ。
何回かデートをして、それからキスとかエッチとかするのが正しい順序だ、なんて
言ってたのに、もし今日慎に、部屋に泊まりたい、あるいは泊まっていけ、と言われたら、
ホイホイ頷いちゃいそうだ。それはつまり、エッチをするということに他ならないわけで。
慎のキスは、すごく情熱的だ。
オレの舌に強く絡み付いて、時に吸い上げ、時にくすぐる。口の中をすごく丁寧に辿り、
オレが感じるところを見つけたら、執拗にそこを突っついて……。
それにオレのあそこに触れる時も、いつも熱っぽく触れてくれた。
無意識のうちに腰が動いてしまうくらい、指で、唇でオレを煽り、悦ばせてくれる。
慎の舌で、一番感じる先の方をぐりぐりと舐められると、もう頭の中が真っ白になって、
どうにでもしてくれと言っちゃいそうになったことは、一度や二度ではない。
「克己?」
訝しげな声で呼ばれて、オレはハッと慎を見た。
ヤバイって……、オレ、メチャメチャエロいこと思い出してた……。
「な、何?」
引き攣りそうになりながらもにこりと意味のない笑みを浮かべると、不審そうに首を
傾げられる。
「何って、ピザ、来たぞ」
あ、と下を見ると、すでにふたり分のピザが来ていた。
「おお、いつの間に」
思わずそう言うと、慎のヤツ、吹きだした。
「何考え事してるんだよ」
「何って」
言えるわけ、ない。目の前にいる慎と、以前イタしたアレやコレを思い出していた
なんて。
焦ったオレは、だけど嘘は言わないように、慌てて、
「慎といるのに、慎以外のヤツのことなんか考えねえって」
つるりとそう言ってしまったオレを、慎はマジマジと見つめ、そうしてふ、と口元を
綻ばせた。
「本人が目の前にいるんだから、できたら考え込むより俺の方を見てほしいな」
……ごもっともです。
「……だな」
素直に頷き、いただきます、と手を合わせたところで、ガタン、と大きな音をさせて
立ち上がった人物がいた。オレらが座る席よりちょっと離れたところに座っていたカップル
で、立ったのは女の子の方だ。
勢いよく立ち上がったらしく、かなり派手な音がした。そのうえ、
「もういいよ!」
不穏な音を滲ませる声で、切り捨てるようにそう言うと、女の子はカツカツと歩き出
したのだ。
一緒に座っていた相手の男も慌てて立ち上がり、女の子の肩を掴もうとする。その手を
容赦なく払い、女の子が足早に通り過ぎようとして―――――ふいにその足が止まった。
「……北見くん」
「……?」
オレも、慎も、その女の子の顔を見上げた。
知らない顔だ。だけど慎には見覚えがあったらしい。
「藤堂…?」
やっぱり知らない苗字を呟く。
女の子は、オレたちと同年代だろう。一八、九歳で、すごくすごくすごく可愛い子だった。
肩より上の、ミディアムボブの髪は、彼女が顔を動かすたびにサラリと揺れている。
きっとすごく丁寧に手入れをしているに違いない。そしてその目ときたら、零れそうな
ほど大きく、目尻がきゅっと上がっている。鼻は小さく、唇は、まるでキスをねだっている
ように、つんと可愛く尖っていた。
すっげモテそうな子だな。
誰だろう、慎の知り合いだよな。もしかしたら、中学時代の同級生、とか?
考えたのは一瞬のことだった。オレは、彼女が次にしでかしたことに、思わずガクンと
口を開けてしまった。
彼女は、慎を泣きそうな目で見つめると、膝を折って慎へと両手を伸ばし――――きつく
抱き着いてきたのだ……!
「……っ!?」
オレは、目の前で何が起こっているのかまったく把握できず―――――ただただポカン
と、慎と、慎に抱き着く彼女を見ていることしかできなかった。
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