もっともっともっとちょうだい 1
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高校時代からの友人である慎は、お互いの熱を鎮め合った、そのすぐあとで、
「俺、惚れてるヤツがいるんだ。だからこういうの、最後にしよう」
まだ息すらも整っていない俺に、実にさらりとそう言った。
がつんと頭を殴られたような衝撃。
身繕いも済んでない、こんな状態で、まさかそんな言葉を突きつけられるとは。
聞かされた言葉がぐるぐると頭の中を回る。
惚れてるヤツ―――――?。
とうとうおまえにも遅い春が来たのか、よかったじゃねえか。
紹介しろよ、どんな女なんだ?
別に盗らないぜ? だから安心して見せろよ。
………とかなんとか口走ったと思う。慌てて服を着ながら。
だって下半身を晒したみっともないカッコしてて、落ち着いてそんな話、できないだろ?
だからゴソゴソジーンズを穿いていた俺は、慎の次の言葉を聞き逃した。
「え? ナニ?」
「女じゃない」
「―――――ぇ……?」
「相手、女じゃない。男だ」
愕然とした。そりゃもう、先刻と同じくらい。
ショックで脳味噌がじわっと融けたかと思った。
「本気で好きなんだ。……気持ち悪いか?」
ふわりと指が伸びてきて――――俺は咄嗟にその指を払ってしまった。
パンッ、と乾いた音が、部屋の中に響く。
「……っ」
「あ……、わ、悪……。べ、別に気持ち悪くないよ。てか、俺が言えるワケないじゃん。
散々おまえとしてたのに。それより俺としてたの、役に立つんじゃねえの?」
そう言いながら、俺は立ち上がった。
「克己」
「頑張れよ。応援してる。俺もそろそろ彼女ほしいなあって思ってたし、潮時ってことだ。
俺のことは気にしないで。じゃっ」
不自然に強張った手を上げ、引き攣った顔で笑顔を作り、俺は慎の部屋から脱兎のごと
く逃げ出した。
別に好きじゃなくてもセックスはできる……と、そこまでは言わなくても、触りっこす
るくらい、そんなに特別なことじゃないだろう?
俺―――周藤克己と北見慎は、恋愛ナシの、セフレもどきだ(最後までいってないから
セフレにまではなってない……んじゃないかと俺は思ってる)。
慎とは高校で出会った。クラブは同じバスケ部、クラスも三年間一緒。親友という言葉
に、一番近い存在だった。
そんな慎とセフレもどきになったのは、高校三年の夏だった。
がむしゃらに走り、ボールを追いかけ、ドリブルし、パスし、受け取り、シュートをす
る……、毎日汗だくになって過ごしてきた日々。全国大会まであと少し、届かなかったあ
の日。
会場で解散をしたけど、まっすぐ家に帰る気になれず、かと言って残念会だと言ってカ
ラオケに行くメンバーと一緒にいたくもなく、俺たちはふたりで部室に戻った。
悔しさと、切なさと、言いようのない脱力感と。
もう今日で部活は終わりなんだなとか、来年まで受験一色かよとか。他愛ない言葉をぽ
ろぽろと零した。それを慎は拾い、また俺へと返してくれる。そんなふうに長い時間、会
話を続けていた。
普段たくさんは喋らない慎だけど、その日ばかりはいつもより饒舌だったような気がす
る。
心の奥の方がスカスカして、なのに妙に熱かった。そのスカスカの部分を埋めたくて、
同時に熱さをどこかに放出したくて、俺たちは喋りつづけたんだと思う。
オレンジ色の陽射しが窓から斜めに差し込んでくる頃になっても、そろそろ帰ろう、と
言えなかった。妙に名残惜しかったのだ。
今日と明日は確実に違う。ボールだけを追いかけているわけにはいかないのだ。
このまま今日が終わらなければいいのに、そう思った。
多分あの時俺たちは、おんなじ気持ちを味わっていたんだと思う。
寂しいような、先に進まなきゃいけないんだという諦めのような、でもここに留まって
いたいんだ、と駄々を捏ねたいような……。
ふいに無言になって、目が合った。
どきん、と心臓が高い鼓動を打った。
俺はほとんど恋愛をしたことがないけど、何かが始まってしまう、という予感があった。
――――なのにその予感が現実になると分かっていたのに、抗おうとは思わなかった。
すごく熱っぽい、あいつの目。俺もきっと同じ。
触れたのは一緒だったと思う。でも俺の方があいつに引き寄せられて、広い胸に抱き込
まれた。部室のコンクリートの床に、ふたりして転がった。
暑い暑い日。強烈な夕焼けが眩しかった。
触れてくる指、俺と違ってて、長く綺麗な指だ。大きな手で、片手でバスケのボールを
掴めるくらい。その手が、俺のそこを握って、包み込んで、扱いて……。
『……っ、ん……』
『克己……、俺の、触れる?』
そっと囁かれて、その声があまりにもいつもと違っていて、ぞくぞくする。指が震えそ
うだったけど、俺だけしてもらうつもりはなかったし、だから言われたとおりにした。
躊躇いを感じる前に無造作に慎のを掴んでみたら、びっくりするくらい硬く、熱かった。
途端、ざわっと神経が震えた。
俺のと形も大きさも違ってるけど、嫌悪はなかった。それより、この掴んだ熱をどうに
かしたくなった。
きつく握りしめたら、慎は声をあげるだろうか。やらしく触ったら? 達く時、どんな
顔をする?
―――――見てみたい、と思った。
『……なあ、気持ちいい?』
上下に擦られながら低い声で問われて、途端、背筋を駆け抜けた快感に、慎を睨みつけ
る。
『っ、くそ、てめ、ヤらしすぎるぞ、その指使い……っ』
『いいならいいって素直に言え。そしたらもっと気持ちよくしてやる』
『……っ』
『ほら……、ここは?』
ぐるりと先端を撫でられて、条件反射のようにびくびくと震えてしまう。
『よくないか?』
『…………、い、いいよっ……! ぁっ』
普段みんなの前でははあんまり喋らないのに、いざ話してみると意外にいいヤツ。身長
が百八十七センチもあって、表面上はクールで顔もカッコ良くて、後輩からの憧れを一身
に受けている慎。
そんな慎が、こんなにヤらしい声と指を持ってたなんて。
なんだかちょっと悔しくなって、俺も掴んだ慎の熱を、強く扱き上げた。
『……っく……、克己』
名前を呼ばれて、ぞくん、とした。どんな顔をして俺を呼んだんだろう?
慎の顔を覗き込んで……一瞬、息が止まった。
見たこともない顔をしていた。
きっと誰も見たことない。
こんな顔を、俺がさせているんだ。そう思うと、優越感が胸に沸き上がる。
慎が俺だけに見せる表情。独り占めしている、という、この紛れもない、喜び。
でもそれは、好き、という気持ちじゃなかった。
ただの……そう、ただの、欲望だったのに――――。
俺たちはバスケに夢中で女の子と合コンとか紹介とか、そういうのは断る方だったけど、
でもそこは高校男子。性的なことに興味がないわけじゃないし、溜まるモノは溜まる、と
いうわけで。
男子校ってこともあって、相手が慎であること、男であることにそれほどの違和感も後
ろめたさも感じずに、ずるずるとこんな関係が続いていた。
でもこんなこと、高校を卒業したら自然に終わっちゃうもんだと思ってた。
俺たちは学部は違うけど、同じ大学で、そこには女子生徒もたくさんいるわけで。慎は
カッコいいから、きっとすぐに彼女ができるんだろうな、そしたらこういうのも終わりだ
ろう、となんとなく思ってた。
ところがこんな行為が、実は大学に入っても続いた。
一年以上、慎の右手で触られる生活をしていたのだ。時には口でしてくれる時もあった
し、形はもちろん、味とかイく時のタイミングとか、イッちゃった後の顔とか、全部知ら
れてる。俺だって知ってる。
でも最近漠然と、なんだかヤバイんじゃないか、と本当は思ってた。
だって高校の時はさ、男子校だったし、受験もあったし、手軽な相手に手を伸ばしたっ
て、そんなにおかしいことじゃない。でも今は、大学は共学で可愛い女の子はいっぱいい
るし、親元を離れて俺たちは互いにひとり暮らししてるから、彼女ができれば容易く引っ
張り込めるし。なのにいつまで俺は慎の右手を自慰代わりにしてるんだ、って。
慎も慎だ。
もてるくせになんで女と付き合わないんだよ。そんなに俺の手と口がいいか?
確かに手頃ってのはあるだろう。女の子とだと、イロイロしてやんなきゃいけないし、
でも俺とだったら気心知れてるし。
身体の相性がよくないかもしれない彼女より、どこが弱くてどこがイイか知られまくっ
てる俺にしてもらう方がやっぱ楽だもんな。
そんなふうにムリヤリ納得していた時に、聞かされた慎の言葉は、まさに寝耳に水。
「俺、惚れてるヤツがいるんだ。だからこういうの、最後にしよう」
………ショック、だった。
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◇ ◇ ◇
ガシガシ歩きながら、俺は何度も目を瞬かせた。
めちゃくちゃ不自然な態度を取ってしまった。
「………」
ショックだ。ショックだ。……すっげえ、ショックだ……。
セフレもどきをやめようと言われてショック。
慎に好きなヤツがいるってこともショック。
そしてそれが可愛い女の子じゃなくて、ヤローだってこともショック。
「……ナニが一番ショックなんだ? 俺」
俺は不意にぴたりと立ち止まった。
ひとつめ、ふたつめ、みっつめ、と考えていって、でもやっぱりまだ混乱しているんだ
ろう、分からなかった。
分かっていることはひとつ。
もう、あいつには触れないんだ。触ってはもらえないんだ。
「……あれ…?」
なんだか頭がグラグラしてきた。
吐きそうな気がする。……マジかよ。
俺は細い道の隅っこに座り込んだ。
おかしいぞ、なんか心臓が痛い。
ずきずきする。
「…………」
喉元にカタマリがある。ぐうっとせり上がってきて、俺は本当に吐くのかと思ったけれ
ど、なんにも出てこなかった。口からは。
吐く代わりに溢れてきた。……目から。
それは溢れ、目の縁に溜まり、ついにはコロコロと頬を転がってゆく。
「………っ」
心は脳の中にあるっていうけど、実は心臓と脳はどっかで繋がっているらしい。つまり
心臓は心と繋がっているってことだ。だから心が痛みを感じた時に、心臓も痛くなるのは
当たり前なんだって、この前テレビでやってた。それは、きっと正しい。
ぎゅうぎゅうと締め付けられように痛む心臓。これは心が発している痛みだ。
その痛みが目から零れ落ちてる。
「……はは。ヤベえ」
目から落ちるってことは、これは涙だ。
泣いてるんだ、俺。
自覚した途端、一層ボロボロと零れた。
「………」
近来稀に見る大洪水状態。
止まらない。
どうしてだ、なんでだ?
潮時ってのは、俺だって考えてたはずだ。十九歳にもなって、いい加減性欲を友達と紛
らわせるなんてこと、やめろよ、って。
おかしいだろ? 絶対におかしい。だから相手がたとえ男だろうと、慎の方が正しいん
だ。こんなの、好きなヤツ以外とやる方が、ホントはおかしいんだから………。
「………好き……?」
引っ掛かった言葉が、ふと口に出る。
―――――好き。
慎には、好きなヤツがいる。
『好き』、という単語がぐるぐると頭の中を回る。
言葉に脳味噌がかき回されているみたいだ。………気持ちが悪い、考えたくない。
ぐうっとまたしても喉からせり上がってくる、涙のカタマリ。
「……好き」
もう一度呟く。
呟いて。
俺はやっと悟った。
「……っ、俺、バカ……!?」
おかしくて、ほんっとにバカらしくて、泣いてたはずなのに、吹き出した。
なんだよ、俺って、すっげー鈍感?
気が付かなかったなんて、バカすぎる!
「俺……。あいつのこと、好きだったんじゃん……」
一年も身体触らせてたのに、気が付かなかったなんて、信じられない!
笑ってんだから止まればいいのに、涙は相変わらず流れっぱなしだ。鼻水まで出てきて、
きっと俺の顔、ぐしゃぐしゃだよ。
人通りはないとはいえ、外でこんなに泣くなんて恥ずかしすぎる。でもそう思っても、
涙は止まらなかった。
止まらなくて、止める術もなくて、泣きながら、俺は夜道を歩いた。とぼとぼと、痛い
心臓を抱えながら。逃げ込める自分のアパートまで。
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慎の部屋から俺のアパートまで、ホントは地下鉄で一駅あるんだけど、電車は使わない
で歩きつづけた。三十分かけてアパートの前についた時には、泣きすぎて目が腫れぼった
い。足も重くて、たった十五段の階段が辛かった。
二階の三部屋ある一番端っこに、俺の部屋がある。
階段を上がり終えて、そこでひとつ溜め息。
涙で汚れてる顔を乱暴に拭った。
目の縁がヒリヒリする。痛い。
「……バカみてえ……」
すん、と鼻をすすった。
今まで気が付かなかったなんて、俺、マジバカだ。
気付くチャンスなんていくらでもあったのに。そしたら、こんな最低な気分を味わうこ
となんてなかったかもしれないのに。
慎に言われてやっと自分の気持ちに気付くなんて。
これじゃ救いようがないじゃん。俺のバカ。
俺はその場でもう一度溜め息をついた。
そして顔を上げた、と同時に、俺の顔は多分凍った。
「………」
俺の部屋の前にいる人間が目に入ったから。そしてその人間が―――慎、だったから。
ずきん、と胸から足の先に、痛みが走った。
息が止まる。唇が震える。
そして、どうして、と目の前が歪む。
慎は俺を認めると、つかつかと歩いてきた。
ぐい、と腕を掴まれて、顔を寄せられる。
灯りのない場所だけど、近く寄れば、今まで泣いてたことなんてモロバレだ。俺はこん
な顔を見られたくなくて、慌てて顔を背けた。
慎はそんな俺を訝しんだのだろう、手をきつく掴んだ。
「……痛ぇよ」
離せ、と言うのに、慎は離そうとしない。
なんであんなこと言ったあとで追いかけてきたりするんだよ。
多分バイクを使って、大通りを通ったんだな。泣きながら裏道をトロトロ歩いてた俺を
あっさり追い越して、先にアパートに着いたんだろう。
そんな、別にどうでもいいことを考えながら、俺は慎から離れようとした、のに。
慎はそんな俺を、ぐいっと抱き寄せたのだ。
「……っ、し、……!?」
「鈍感だと思ってたけど、まさかここまでとはな」
耳元で溜め息混じりにそう言われ、些かムッとする。
でも自分でも散々俺って鈍感、と罵ってたから、慎が俺のどこを見てそう思ったのか、
言及は避けた。
「普通の人間なら先刻の会話で、もしかしたら、と思うはずだぞ。なのに全然気が付かない
おまえは、ホントに鈍感だ」
「そっ、そんなに言うことないだろ! 俺だってそう思ってるところに、追い討ちかける
んじゃねえよっ。大体おまえ、何が言いたいワケ? 俺が鈍感だって知ってるなら、言い
たいことあったら、包み隠さずストレートに言や、いいだろ?」
「確かにそうだ」
慎は頷いた。そして俺の頬を片手で包み込むと、強引の一歩手前という力で自分の方へ
と向けさせた。
「……っ、な、に…」
「おまえが好きだ」
このうえなくシンプルに、かつストレートに、慎はそう言った。
「―――――――」
その言葉に俺はぽかんとする。
なんだって?
「聞こえたか? 俺はおまえが好きなんだ。だから友達のじゃれあいの延長みたいなこと
はもうしない。恋人としておまえに触りたいんだ」
「…………」
「おまえが俺のことを友達としてしか思ってないって知ってた。だから今まで言わなかっ
た。姑息だけど、それでもおまえに触れるんならって思ってた。でももうイヤだ。もう我
慢ができない。もっと、もっと、もっとおまえが欲しい」
「…………」
「だから、……返事をくれ」
ちゃんと聞こえたけど、なんだか自分に都合よすぎるような気がした。
もしかして冗談を言ってるんじゃないかと思ったけど、目の前の慎はすごく真剣な目を
してる。そもそも慎は、冗談なんてほとんど言わない。
慎の言葉は真実なんだ。
そう思った途端、俺の顔はふにゃ、と緩み……。
俺の意思を無視して、涙がどっと溢れ零れた。
「……か、克己…?」
慎の声が驚きと焦りを滲ませるのを聞きながら、
「だったらどうして先にそう言わねえんだよ! おれ、……俺、ここに着くまで泣きっぱ
なしだったんだぞ!」
目を瞠った慎に、俺は飛びついた。
「俺だっておまえがほしい。もっともっともっとくれよ。俺も……おまえが好きだから」
「…………」
身動ぎひとつしない慎へ、ぎゅうっとしがみつく。まるで加減を知らない子供のように。
慎は―――――。
ぎくしゃくと腕を持ち上げた。
背中に掌が這わされて……、
「……慎」
囁いた俺を、きつく、なお一層深く、慎は引き寄せてくれた。
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【 コメント 】
2003年冬に無料配布本として発行した話です。
現在3作出ておりまして、今年中には続きが書ける
かなあ…(笑)。
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