あまくて、美味い



  きみしぐれ、水無月、うさぎ薯蕷、はなびら餅――。
  一條会茶道次期家元である一條睦月が好きな和菓子だ。
  きみしぐれは白練り餡をふっくらと玉子餡で包んで蒸す。すると表面に亀裂が入り、そのヒビを雨に見立てている。
  水無月は三角形の白ういろうの上に小豆が乗っている。目に涼しげな菓子だ。
  うさぎ薯蕷は名の通り可愛らしいうさぎの形をしており、中にはぎっしりと餡が入っている。
  はなびら餅は、白い餅の上に赤い菱餅と味噌餡、そして牛蒡の甘煮を乗せて半月に折る。代表的な新年の祝い菓子である。
  茶会にはテーマが設けられるし、季節感を大事にするため、好きだからといって毎回同じものを選ぶわけにはいかない。
  老舗和菓子店、高林堂の次期店主であり、睦月の幼なじみ、そしてつい三週間ほど前には晴れて恋人となった高林凌は、 彼に会いに行く時には大抵これらの菓子か、新作和菓子を手土産にしていた。
  今夜は、つい先ほどできたばかりの新作和菓子を持って来ている。
  ほろほろとした甘みを抑えた生クリームとクルミ餡を軽羹で包み込み、その上に蜜で煮詰めた大粒のクルミを乗せたものだ。
  父や長く務めているふたりの職人ととことん話し合いながら出来上がった、秋の新作である。
 二週間ぶりに会う恋人は、この和菓子をどう評価するだろう。
  美味しい、不味い、とはっきり口にする睦月だから、自信はあるがなかなか緊張する。
 一條家に向かいつつ、凌は口元に笑みを浮かべた。
「緊張しているのは別のことが理由か?」
 長い間好きだった睦月と恋人になってから、まだ三週間だ。だがその間ひんぱんに会っていたわけではなく、会うのは二週間 ぶりだった。
  新作和菓子の試作品づくり以外にも、店主である父の代理であちこち出向いたり、一條会とは異なる会が催す茶会があったり、 凌が華道の腕もあると知った知人の花屋から講師を頼まれたりと、用事が重なってしまっていた。
  そしてもうひとつ、理由があった。
 三週間前に起きた騒動で、凌は腕に怪我をしてしまった。
 幸い骨が折れたりひびが入ったりということはなかったが、重い釜がぶつかったため腫れあがり、しばらくは不自由な日々を 送っていた。
 怪我をした理由というのが、睦月を庇ったためだったから、父は「睦月くんに怪我がなくてよかった」と言ってくれた。だが 母からは、父とは異なる言葉をかけられていた。
「あんたがしたことはもちろん正しいけど、どうせ助けるんだったら、睦月くんに負担にならないように助けなさいよ。睦月くんが 怪我しなくても、あんたがしたら台無しじゃないの」
 正直あの時そんな余裕はなかったのだが、母の言葉はなるほどとうなずけるものだった。
  実際睦月は、あのあと包帯が巻かれた凌の腕をしきりと気にしていたし、怪我によって仕事に支障を来さないか、口にはしなかったが 心配する素振りを見せた。
  二週間、時間を置いたのは、もちろん忙しかったからが、腕が完治するまでというのも理由のひとつだった。
 巨大な痣も薄くなり、腫れもひいた。痛みももうない。
「怒っているかも」
 睦月の顔を思い浮かべた凌は、微かに肩を竦めた。
 恐らく凌が怪我したことは、頭の隅に追いやられているだろう。睦月は、頭はいいのに直情径行で、ひとつのことにまい進する性格 だから、凌を心配する気持ちは会えない怒りへと変わっているのではないか。
 長年幼なじみとして接してきた凌の、睦月に対する洞察力は鋭い。
 だが心配顔を見せられるより、元気に怒っている睦月の方がいい。
 凌は唇の端を上げつつ、一條家の門をくぐった。



「……つか、連絡くらいしろよ。ぼけ」
 玄関で思いも寄らぬ熱烈なキス……というよりむしろ食われる勢いで噛みつかれ、散々煽った癖に、続きは新作和菓子を食ってから、 と非道なことをあっさり言ってのけた凌の恋人は、今は同じベッドの中で、腹ばいになって菓子をぱくついている。
 小ぶりだが一口ではきついのではないかというくらいの大きさの和菓子を、あっさり口中に放り込んで、もう三つ目だ。
「むっちゃん、ちょっと食いすぎじゃない?」
「疲れてんだよ。てめーがガツガツ食いやがるから」
 睦月はそう言って仰向けになった。その身には一切何も身につけていない。
 新作和菓子を食べるか、先に恋人としてベッドで仲良くしようか、勝負をした結果、もともと我を張るつもりはなかったのだろう、 睦月はわりと簡単に陥落したのだった。
 だがガツガツとがっついたのは、凌のせいばかりではない。
「むっちゃんだってガツガツしてたよ。ほら」
 肩から腕から腹にまで、睦月の歯形がはっきり残っている。そして見えないが、頬や首筋もヒリヒリしているから、そこも噛まれたようだ。
「ああ? てめえの方がどう見てもがっついてただろうが」
  見てみろよ、と大胆にもベッドの上に仁王立ちになった。もちろん全裸だ。
「あ、すごいな」
 睦月が言うように、肌のあちこちに、凌が唇で触れた印……朱の色が散らばっている。
 凌はすぐ目の前にある睦月の腹に、指を這わせた。
  赤い印が、ひとつ。ふたつ。
 そこに再び唇を寄せて、優しく吸いついた。
「……っ」
  ヤメロ、と強めに頭を掴まれたが気にしない。
 目の前にこんな扇情的な姿で立つのだから、触れろと言っているようなものではないか。
  凌は睦月の腰に両手を回すと、ぐいと引き寄せた。
「う、わ……」
 臍とその周りを舌で舐め回し、そのまま下腹部へとずらしていく。
「てめ、……まだ、ヤる気かよ……!」
  さっきしたじゃねえか、と尖った声で制されても、凌が舌の動きを止めることはなかった。
 触れている個所が、言葉とは裏腹にどんどん蕩けていく感覚が伝わってきたからだ。
 現に、これから舌が到達するそこは、再び熱を帯びはじめていた。
  唇で下腹部を覆う薄い毛をかき分け、睦月自身に優しくキスをした。
  先刻はつい、『がっついて』しまったから、今度は優しく、優しく、睦月がむせび泣いてしまうほどに、優しくしたい。
 すう、と舌を先端に滑らせると、太腿が密やかに震える。
「……っ、くそ!」
 立っているのが辛くなったのか、睦月は凌を突き飛ばし、膝をベッドにつくと、今度は引き寄せてきた。
「わ、むっちゃ……」
 すっかりその気になったのか、睦月の方から唇を押しつけてきた。
  一瞬で離れた唇だったが、凌もすぐに睦月にキスをし返す。
 あまく、やわらかく絡みついた舌先は、どんどん熱を帯び、口づけは深いものへと変わってゆく。
 互いに抱き合って、再びベッドへとダイブした。
「あまい」
  和菓子の味が睦月の唇の内に残っていて、その甘みが凌にも伝わる。
「美味いだろ?」
 和菓子は睦月がつくったわけではないが、確かに睦月とのキスは、
「うん、美味い」
 そう言って再び、あまくて美味い口づけをたっぷりと味わった。



                                     了


                                    初出:二〇一四年三月九日 J.GARDEN 発行

                                    猫かぶり王子とフラチな番犬 番外編



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